同性しかいない職場は働きにくい?
先日、転職経験のある女性の知り合いから、こんなことを言われました。
「女性ばかりの職場で働いていたこともありますが、そんな職場はかえって働きにくいですね」
その場はそんなものかと思って深く突っ込まずに会話を流してしまったのですが、時間がたった今、なぜそのような結論になったのだろうとふと考えてみました。
自分ならどうか
率直にいって、どの職場が働きやすいかというのは、男女比以外にもいろいろな要素がありますし、人によって感じ方も様々でしょう。
そこで、自分の職場がもし同性(男性)ばかりだったらどうか、というあくまで自分基準で考えてみました。
結果、男性ばかりの職場よりは男性と女性の両方がいる職場のほうがよいメリットが思いつきました。
それは異性がいるほうが職場の同調圧力が小さくなり、かつ合理的な風土になる、というものです。
以下に順序立てて説明します。
同性しかいない環境だと、意見が偏る
同性は異性よりも、好みや思考が似通うことが多くなります。
すると、同性しかいない職場だと社員の意見が偏る場合が増えるでしょう。
例えば、同性しかいない職場で週末にスポーツ懇親会を企画するとします。
話を単純にするために、男性のは8割がゴルフ好き、女性は8割がテニス好きとします。
すると、男性しかいない職場では、ゴルフの希望が圧倒的になるので、スポーツ懇親会は企画するたびにゴルフになってしまうでしょう。
女性ばかりの職場では逆に毎回テニスばかりすることになってしまうはずです。
意見の偏りは同調圧力を生む
以降、男性ばかりの職場を例にとって話を進めます。
職場でゴルフ懇親会が続くと恒例化してしまい、懇親会で別の企画を通すのは困難になります。
ゴルフが好きでなくても意に反して毎回ゴルフに参加しないといけないかもしれません。
つまり多数派の意見に従わなくてはならないという同調圧力がかかることになります。
もちろんゴルフ好きの8割の社員にとっては、ゴルフの懇親会は良いことでしょう。
しかしながら、あらゆる状況で常に職場で多数派であり続けることはできません。少数派に転じることも少なからずあるはずです。
そういう時に、意見も言えず多数派に従わないといけない環境はかなりのストレスです。
男女が共にいると、意見が分散される
では男性と女性の両方がある一定の割合でいる場合はどうでしょうか。
この場合、懇親会の内容について希望をとれば、ゴルフとテニスの両方の希望がそれぞれ一定の割合ででることになります。
強力な意見が複数あるので、ゴルフとテニスを比較してどちらを実施するかきちんと検討されることになるでしょう。
意見がばらつくと、合理的な決断をする必要がある
ゴルフにするかテニスにするか、多数派の好みだけでは決められないとするならば、懇親会で何を実施するか双方が納得する結論を得る必要があります。
費用や会場の利便性などから選択するかもしれませんし、交互にテニスとゴルフを実施するかもしれません。
どの競技も広範な支持が得られないのであれば、懇親会自体が廃止される可能性すらあるかもしれません。
いずれにせよ論理的、合理的な結論を得る努力はされるはずです。
検討された結果、意に沿わない競技になる可能性もあるわけですが、その場合であっても納得度は高まるんじゃないでしょうか。
有無を言わさず多数派に迎合を強いられる場面は減りそうです。
多様性が合理性を生む
このように男女の両性がいると、意見のバリエーションが増え、その中から適切なものを合理的に選択しようとする傾向が職場に生まれるのではないかと考えました。
これは男女に関するだけでなく、国籍とか人種とか年齢にも多様性があれば同様の傾向が生じるかもしれません。